本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

JFK暗殺にも関与!?冷蔵庫バラバラ殺人事件

1965年6月23日、米テキサス州ヒューストンの警察署へ1本の電話がかかってきた。
「ここ数日、叔母と叔父と連絡がつかないんです。自宅を訪問して調べてもらえないでしょうか」
 

電話を受けて警察官2人が、当時81歳のフレッド・ロジャースと79歳のエドウィナ夫妻の暮らす自宅へ向かった。自宅は鍵がかかった状態で、ノックしても室内からの応答はない。

仕方なく警察官が鍵をこじ開け中に入ってみたところ夫婦の姿はなく、ダイニングテーブルに食べかけの食事がそのまま残されていた。特に変わった所はないが、念のため警察官は室内を点検して回ることにした。
 

何気なくダイニングの冷蔵庫を開けると、中に肉の塊が大量に保管されていた。違和感を覚えた警察官が目線を落とし、彼はありえないものを目にする。冷蔵庫脇の野菜の収納スペースに夫婦の切断された頭部が置かれていたのだ。
 

すぐに現場へ大勢の警察官が送り込まれ、殺人事件として捜査が始まった。結果、夫婦は事件発覚3日前に殺害されたものと判明。冷蔵庫の中に入っていた大量の肉の塊は被害者夫婦の手足と胴体で、後に近くの下水道で彼らの臓器を発見する。また、司法解剖により、夫フレッドは頭部をハンマーで殴られた後、目をくり抜かれ、性器を除去されたことがわかった。

妻エドウィナは酷い暴行を受けた後に頭部へ銃弾を打ち込まれ死亡。犯人は被害者を殺害してから浴室に遺体を運び解体、わざわざ冷蔵庫に保管した後、現場から逃走したものと推定された。
 

この事件で真っ先に容疑をかけられたのは、被害者夫婦と同居していた43歳の息子チャールズ・ロジャースだ。彼は1942年にテキサスA&M大学に入学した後、ヒューストン大学に再入学。原子核物理学の理学士号を取得し、7つの言語を操るインテリだった。

第二次世界大戦中はアメリカ海軍情報局に所属していたが、1957年に一切理由を明かさないまま辞職し、その後、ガスや石油会社に勤務したものの、事件当時は無職で両親のもとに身を寄せていた。もっとも、近隣住民で、夫婦が息子と同居していることを知る者はほとんどいなかった。

というのも、チャールズは夜明け前に家を出て、暗くなってから戻ってくるのが日課。後の調べで、家にいる間も部屋に閉じこもり、両親とはドアの下に要件を記したメモを滑り込ませやり取りしていたこともわかった。
 

そのチャールズが、事件の直後に自宅から姿を消していた。警察は、彼が解剖学にも精通していたことを把握し、重要容疑者としてその行方を追う。メディアも犯行の猟奇性もあいまって大々的に事件を報じたが、結局チャールズは見つからず、1975年、ヒューストンの裁判所は彼の死亡を宣告する。
 

それから27年後の1992年、この事件を題材とした『草の丘の男』という書籍が出版された。
本作によると、チャールズはジョン・F・ケネディ大統領暗殺(1963年11月22日)にCIAのエージェントとして関与しており、その事実を知った両親が口封じのため何者かに殺害されたのだという。JFK暗殺は公式にはリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯とされているが、本作ではチャールズと、プロのヒットマンとして知られたチャールズ・ハレルソンが、大統領暗殺の実行犯とも指摘している。

一方、この推測を否定し、両殺害はやはりチャールズによるものとする意見もある。なんでも、チャールズの父フレッドはギャンブルや詐欺などの違法な活動に従事し、息子が成年するまで彼を虐待。

そのことを長年恨みに思っていたチャールズが母親もろとも殺害した後、ホンジュラスに逃げ鉱山労働者として働いていたものの、賃金紛争が原因で殺されたという。真相は闇の中だ。