本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

東アジア反日武装戦線がテロ事件を起こした理由

1974年8月30日昼12時45分頃、三菱重工業東京本社ビル(現丸の内二丁目ビル)1
階出入り口のフラワーポット脇に仕掛けられた時限爆弾が炸裂。その衝撃、爆風と飛び散ったガラス片などにより、三菱重工とは無関係な通行人を含む8人が死亡、376人が重軽傷を負った。

犯人は、1972年に法政大学の学生を中心に結成された「東アジア反日武装戦線

」なる武闘派左翼グループだ。彼らは第二次世界大戦以前の日本を「完全な悪」として太平洋戦争を侵略戦争と認定。

戦前・戦中に日本の重工業を支え、戦後も日本を代表する重工メーカーであり、防衛産業を手がける三菱重工業を「帝国主義(を支援する企業)」であるとして、グループの政治思想に基づき「経済的にアジアを侵略している」と無差別爆破テロのターゲットとするに至った。
警視庁丸の内警察署に設置された特別捜査本部は、犯行グループが寄こした犯行声明文と、1974年3月に地下出版された爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本『腹腹時計』に用いられたタイプライターの字体が同一であること、その後1975
年4月までに起きた「連続企業爆破事件」の捜査などから、一連の犯行が東アジア反日武装戦線の「狼」班によるものと特定。同年5月19日、主要メンバーである大道寺将司(グループのリーダー。当時26歳)、大道寺あや子(同26歳。大道寺将司の妻)、佐々木規夫(同26歳)、えきだ 由紀子(同24歳)、そして片岡利明(同26歳)ら8人を逮
捕した。
 ところが、3ヶ月後の同年8月4日、マレーシア・クアラルンプールで日本赤軍がアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら52名を人質として日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求する。

これに応じた当時の三木内閣は超法規的措置として佐々木ら7人の釈放・出国を許可。また、1977年9月28日に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件でも同様の措置が取られ、大道寺あやこが釈放・出国を果たした(浴田は1995年、ルーマニアで逮捕。日本に送還され懲役20年に)。
 裁判は主要メンバーが欠けたまま進められたが、一審で大道寺、片岡の両被告に死刑判決が下り、1987年の最高裁判決で死刑確定。このとき、片岡は「人の命のかかった裁判を書類上の“事務”として右から左に片付けてしまう最高裁判事たちの態度に激しい怒りを禁じえない」と表明した。その後、2人は再審請求を繰り返したものの、いずれも却下され、2017年5月24日、大道寺が獄中で病死(享年68)。

片岡は2022年6月現在も収監中の身にあるが、死刑が執行されていないのは、佐々木規夫と大道寺あやこが超法規的措置で出獄し、海外で日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、裁判が終了していないためとされている。