本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

第一発見者の父親が逮捕される謎だらけの一家殺人事件

1952年8月5日、南フランス・プロバンス地方のリュールを車で旅行中だったイギリスの化学者ジャック・ドラモンド(当時61歳)と妻アン(同46歳)、娘エリザベス(同11歳)が殺害された。

 

夫妻はテントの近くで寝巻き姿のまま射殺されており、夫人は胸に2発、ドラモンドは背中に3発被弾。娘は100メートルほど離れた川辺まで追いかけられて撲殺されてい
た。


 第一発見者は現場に隣接する農場のオーナーの息子だったギュスターブ・ドミニシ(同33歳)で、彼によれば、前日の深夜1時頃に銃声を耳にしたものの恐ろしくて外に出られず、翌朝5時半頃に外に出て、川辺でエリザベスの遺体を見つけたという。

 

しかし、実際に警察に通報したのは鉄道作業員の男性で、その後の調べでギュスターブが鉄道作業員に「少女を見つけたときはまだ生きていた」と話していたことが発覚。ギュスターブは瀕死の少女を放置した罪で逮捕され、2ヶ月の禁固刑が下される。


 一方、付近一帯を捜索した警察は、川の中から凶器のアメリカ製カービン銃を発見する。その所有者はギュスターブの父親ガストン・ドミニシ(同75歳)。警察の厳しい取り調べに対しギュスターブは父親の犯行であることを認める。逮捕されたガストンは素直に罪を認めた。

自供によると、自分の土地でキャンプしている旅行者を見つけ追い払おうとしたところ、寝巻きに着替える夫人の姿を見て欲情。彼女に飛びかかろうとした際、ドラモンドが邪魔に入り、揉み合いのうち銃が暴発し、悲鳴を上げた婦人と娘も殺害したのだという。

しかし、その後、ガストンは犯行との関与を否定。ギュスターブも前言を覆し父の無罪を主張したものの、しばらくするとやはり父親が犯人であると証言を二転三転させた。
 

メディアはこの事件を大々的に報じ、やがて被害者のドラモンドが第二次世界大戦中、諜報部員だったことを明らかにする。

さらに、ドラモンドは1947年と1948年にも事件の起きたリュールを訪れており、そこには化学兵器が研究されていると噂されていた薬品工場があった。となれば、ドラモンドは自身のスパイ活動に絡み殺害されたのか。この推理とドミニシ家はどう関係するのか。
 

結局、事件はガストンの単独犯行と断定され、裁判で死刑宣告が下る。が、後に高齢を理由に終身刑に減刑。1960年には大統領恩赦で釈放され、真相を語らぬまま1965年に死亡した。

ただし、現在ではガストンは冤罪だったとの説が有力である。ちなみに、この事件を題材としたジャン・ギャバン主演の映画が公開された1973年、同じリュールでイギリスの学者ジョン・ベイジル・カートランド(同60歳)がキャンプ中に殺害されたが、彼もまた戦時中は諜報部員だったという(同事件も未解決)。