1972年3月下旬、東京都練馬区の娯楽機器販売業兼、高利貸しの藤井政安は、大田区の食品販売業Sさん(同50歳)に1ヶ月9%の利息、1ヶ月返済の約束で1千万円を貸すも返済されなかったため、日本刀でSさんを脅し10日に1割の利子を押し付けた。
Sさんは4月下旬から3ヶ月で1千700万円を支払うも7月上旬に金策に行き詰まり、残り274万円の支払いができなくなる。そこで藤井はSさん所有の4階建てビル(時価約1億円)を売却させ、その代金から約束手形の額面274万円を奪い取る。
1973年9月1日、このSさんへの恐喝事件で藤井は逮捕。背後を調べた結果、複数の殺人事件が発覚することになる。
1970年2月、藤井は不倫相手の愛人と結婚するため、愛人の夫(同34歳)の殺害を
従弟Fに100万円で請け負わせた。
同月13日夜、Fは共犯Wと共謀し、東京都内の路上に停止した自動車内で、夫をナイフなどで心臓を突き刺して殺害。遺体は3年7ヶ月後に発見された。
1971年には、覚せい剤購入の資金として暴力団員の男性(同32歳)に300万円を
貸したが返済がないため、金の隠し場所を聞いたうえで殺すように従弟Fに依頼。
Fは共犯W、U、Iと共謀し、同年10月27日夜、神奈川県内の堆肥貯留場で男性を裸にして手錠、猿ぐつわをかませたうえ、クロロホルムをかがせ失神中に土中に埋めて窒息死させた。
1973年には、茨城県内で砂利採取事業を営む男性(同39歳)に多額の金を融通した
が、返済困難となったことから、男性が経営する会社の乗っ取りを画策。男性がこれを拒んだため、前述のIに100万円で殺害を依頼。
同年4月15日夜、IはTを共犯に、男性の事務所兼宿舎でクロロホルムで失神させたうえ首を絞めて男性を殺害、遺体を土中に埋めた。
恐喝、殺人、死体遺棄罪などで起訴された藤井被告は1番目の被害者の母に150万
円、2番目の遺児の祖母に150万円、3番目の遺児に301万円を送るとともに、同被告、被告の母、被告の姉が贖罪として眼、腎臓、遺体を献ずる手続きを取り、事件への反省と誠意を示した。
が、一審の判決公判で裁判長は「藤井被告の反社会的性格は根強く強固なものであり、現在反省し、後悔している点を含めても責任は極めて重大で、極刑が相当である」と死刑を宣告。
F被告、I被告にも死刑判決を下すともに、他の3被告にも懲役刑が言い渡された。
その後、F、I両被告ともに控訴審で無期懲役に減刑され確定。
唯一、死刑判決を支持された藤井被告は上告するも、最高裁は「報酬の支払いを約束て3人の殺害を次々と実行させた責任は重大であり死刑はやむをえない」と訴えを棄却。東京拘置所に収監された藤井死刑囚は2022年6月現在も再審を求め続けている。