本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

給料日前にキャバレーで豪遊マルヨ無線強盗殺人事件

1966年12月5日22時過ぎ、福岡県福岡市の電器店「マルヨ無線川端店」に、元店員の尾田信夫(当時20歳)と少年(同17歳)が強盗目的で侵入。

宿直の男性店員2人をハンマーで殴り重傷を負わせ、事務所に置いてあった集金カバンから現金22万1千円と腕時計2個を奪った後、石油ストーブを蹴飛ばし放火、逃走した。
結果、店員の1人は自力で脱出するも全治5ヶ月の重傷、もう1人は一酸化炭素中毒で死亡した。
 

福岡県警は入院中の店員から、犯人が3、4年前に辞めた元店員の尾田に似ているとの証言を得て、尾田の勤務先を訪ねるも欠勤中。
しかし、給料日前にキャバレーで豪遊していたことから、逮捕令状を請求し12月10日、全国に指名手配する。
その直後、少年が警察に出頭し緊急逮捕。尾田も事件発生から約3週間後の12月27日に逮捕される。
 

山口県宇部市出身の尾田は日本電波専門学校卒業後、マルヨ無線の正社員に採用されたが、店の商品であるラジオを盗んでは質入れを繰り返していたことが発覚し解雇、警察に通報される。

山口家裁から保護観察処分を受けた後、別の電気店に就職し、またも商品を盗んで質入れしていたことが発覚して窃盗罪で検挙され、中等少年院に2年間入所。

少年院で仲良くなった少年(当時15歳)に、自分がかつて勤務していたマルヨ無線川端店に押し入り、店員を殺して、証拠隠滅のために放火するという具体的な強盗計画を打ち明け、出所後、スピード違反の反則金7千円の金策に困り、計画を実行に移すことを決意するに至った。
 一審で、尾田被告の弁護側は精神鑑定を申請し、地裁も承認。公判が停止し、入院中の1968年8月、尾田被告は病院から脱走するも、24時間後に逮捕された。判決にあたり、裁判長は「幼くして父を失い、その愛を知らぬまま育ち、心因性ヒステリーだったことは認める。しかしそれらを考え合わせても、その罪責は自己の生命をもって償うべきだ」と死刑を宣告。

尾田被告は死刑制度の違憲性、心神耗弱、量刑不当を主張するとともに、控訴審から放火を否認したが退けられ、「前途春秋に富むべき身であることを思うとき、その生命を絶てと言うのは後ろ髪をひかれる思いもする。忍び難いものもあるが、やむをない」として、一審判決が支持される。

最高裁も上告を退け死刑が確定した(共犯の少年は懲役13年)。
 尾田死刑囚は、放火を行ったとされる確定判決の事実認定を否定し、これまで6度の再審請求を行っているがいずれも棄却(2022年6月現在、第7次再審請求中)。死刑確定からすでに52年。2016年7月までに死刑囚37人の死刑執行、3人の病死、1人の自殺を見届け、存命中の死刑囚の中では最古参として収監中の身にある。