本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

自殺願望が過剰な被害感情が無差別の攻撃衝動、殺意に火をつけてしまう

まるで「ニセものを標的にしたテ口のようだ人問だけではなく、自分を取りまく現実そのものが「ありえない」空間のように、作りもののように、ニセもののようにしか見えず感じられない
「シンドローム」の根底にあるのはこのような心理(病理)で、そこから「人をバラバラにして骨や内臓を見たい動機や、ステキな一破壊願望」、何の感情もないままの殺意などがゲリラの銃弾のように飛び出すのが、こうした「動機なき犯罪」なのだ。

そう、まるで「作りも辺でョセもの」を標的にしたテロのように、「殺してみたい」殺人は続発しているのである。犯人たちの多くが「自殺願望」を口にしているのも、動機なき犯罪の特徴だ。

つまり彼らは、まず何よりも「自分」に生きるリアルさが感じられず、自分そのものが「作りもの」で「ニセもの」のような気がして仕方ないのである。

漫画喫茶を泊り歩き、「死にたい」三門容疑者が、ふとしたきっかけで「人を殺してみたい」と思ったというのは、この種の殺人の心理のメカニズムをよく表している。
まず、死にたいと思っている「自分」

そのものが不確かで、ニセもののようにしか感じられないので、自分の「死」と他人の「死」がいつの間にか頭の中で混同し、あるいは入れ換わってしまうのである。

うつぶせになった裸の男の背中に乗った彼女の体は、言ってみれば「自分」の抜けガラのようなものであり、突然首にヒモを巻きつけられた男の体は、鏡に映った不確かな「自分」のようなもの。

おそらくヒモに力を込めたとき、いよいよ「死」に呑みこまれつつあるのが自分なのか、インスタントラブの相手なのか、三門容疑者にははっきり区別はつかなかったのだろう。

彼女が取調べ室で口にしたという、「でも、あの人側で死んじゃったのかしら」
というとほけた言葉は、そのような心理の錯乱が尾を引いたものだったはずである。

かつて、80年代末に「宮崎勤事件」など、新しいタイプの犯罪があらわれたとき、犯人の不可解な心理を説明するキーワードとして「現実感の稀薄」ということがよく言われた。情報のイメージや、種々の電脳映像等による仮装現実と、現実そのものとの区分がはっきりしなくなったことが、稀薄さに拍車をかけているとも考えられた。そうした80年代以来の傾向が、いよいよドンづまりの状態、末期的なありさまを呈したのが、ここに述べた「殺してみたい」殺人の連鎖だろ』

この類型の犯罪は「快楽殺人」と見られがちだが、両者はあきらかに別ものだ。

快楽殺人の犯人も、たしかに「殺してみたくて」殺すが、その目的は殺人に伴う性的快感で、神戸で起きた「酒鬼苔蔽事件」
がそれに当てはまる。ここにあげてきた類型は、自殺願望がベースになり、それが極端な形での他者攻撃に転化するという点で、むしろ、街頭でしばしば起る「通り魔殺人」(アメリカなら銃の乱射による大量殺人)に近いだろう。
「本件は、被告が将来に失望して、暴自棄となり、自殺を考えたが、そのような状態になったのは両親や世の中のせいだとして、自分のうっぷんを晴らすために無差別大量殺人を計画。

5人を殺害し、重軽症を負わせたという犯罪史上、まれにみる凶悪な事案である。被告は自らの不運をすべて周囲に責任転稼し、身勝手で理不尽な怒りを正当化するなど、自己中心的な姿勢に終始したあげく、非人間的な犯行を決意するという動機に酌量すべき余地は全く認められない」
これはJR下関駅で起きた「通り魔殺人」の犯人、被告に対する一審判決文の一部である(判決は死刑)。
ここに、「自殺」と無差別殺人(の動機形成)の、ある種典型的な関連のありまさまを見ることができる。
自分の不運、不幸をもっぱら他人のせいにした逆怨みの感情は、ときに自殺願望を際限もなくエスカレートさせる。「どうせ自分は死ぬんだから」という感情が、まさに無差別の攻撃衝動、殺意に火をつけてしまう(そのくせ、犯人は自殺衝動を殺人で解消させて、ケロリと生き延びていたりするのだが)・
通学中の小学校5年男児にいきなりガソリンを浴びせ火をつけた福岡市の無職、容疑
者の場合も、失業して酒浸りの生活の中、ふと自殺を思い立ったのが犯行の引き金となった。
自殺しようと思ったとき、何日か前に近所をバイクで走っていて中学生に「何もしきらん(何もできない人間だ)」と言われたような気がしたことを思い出す。
実際にそんなことを言われたわけではなく、言われたような気がしただけなのだが追いつめられて過敏になった心理は、それに過剰反応し、「俺は何もできない人間じゃない」と、まったく何の関係もない小学生に危害を加えたのである。
警察庁の調べによると、無差別殺人は未遂も含めて8件。ひとつ間違えば殺人に至りそうな街頭での「切りつけ」事犯となればその発生は数え切れない。
犯人の自閉症的な思い込みや妄想、過剰な被害感情が引き起こす「理由なき殺人」が今後、多少なりとも防止される保証など何もない。全く無関係の他人に、何の前ぶれもなく、いきなり殺される。私たちが生きているのは、そういう理不尽さを底にかかえた「平和な日常」なのだ