本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

刑務所の服役囚受刑者に最も歓迎される芸能人慰問

犯罪激増中の我が国では、現在、7万5千人以上の服役囚が
刑務所(拘置所含む)に溢れ返っている。

実に3割が収容率100%をオーバー、独居房に二段ベッドが置かれ、6人部屋に8人が押し込まれ、窮屈な生活は限界まで達しようとしている。


罪を犯したのだから、償うのは当然。過酷なムショ暮らしも
自業自得.世間の見方はそんなものかもしれない。しかし、厳しい規律ばかりで
人間が真に矯正されるだろうか。
ストレスを溜め込んだ受刑者が、
出所直後に大事件を起こしては
元も子もない。ムチの合間にアメも必要ではないか。


受刑者にとってのアメで、彼らに最も歓迎されるのが《慰問》である。舞台俳優やお笑い芸人、歌い手たちが、所内のステージで演劇やコンサートを披露。プロァマ不問のボランティアながら、コワモテ集団が歓喜感涙にむせぶほど、場内は熱気に包まれるという。

今回、ここにご登場願う人物は、年間別力所以上の刑務所を回るベテランの演歌歌手である。
北は札幌から南は九州鹿児島まで。無名の苦労人が観客に流させた涙は数知れない。

渡り鳥が歌う刑務所ブルース、
とくと聞いてみよう。南白川たかし(仮名)。
今年で芸歴20年になる独身歌手は、関東の田舎町にアパートを
借りながら、1年の大半を地方営業で過ごしている。

普段は、健康ランドや小学校の体育館で、老人相手にマイクを握っているせいだろう。俳優・内藤剛に似た風貌ながら、語り口は森本レオのように柔らかい。
「売れない歌手が食っていくた
めには、ドサ回りしかありませ
ん。わずかな出演料をいただき、CDを買ってもらうんです」

営業の合間には、舞台や時代
劇の脇役出演で日銭も稼いでいる。思わず引き込まれてしまい
そうな口調は、芝居で鍛えられた賜物だろう。


南白川によれば、慰問はそもそも宗教活動から始まったものだという。
「最初は、僧侶の説法や牧師の説教を受刑者たちに聞かせてい
たそうです。一種の社会復帰プログラムだったんですね」

神仏の話など、馬の耳に念仏かと恩いきや、外界の刺激に飢えた受刑者たちは、熱心に耳を傾けるらしい。それから月日を重ねてボランティア活動の裾野が広がり、演劇にバンド演奏、マジシャン、尺八、講話、郷土民謡など。数多の芸が披露されるようになったそうだ。
「慰問は、基本的にボランティアですので、謝礼は発生しません。昔から、アマチュアが多いのも、そのせいでしょう。一方で、私のような芸能プロダクション所属の人間が呼ばれるのは、単純な理由です。ペケちゃん(ヤクザ)が絡んでいるんですよ」


芸能界と暴力団は、昔から切っても切れぬ関係と言われるが、実際のところ、親分や幹部クラスの一声で、人気歌手が慰問に駆り出されるケースは珍しくない。特に、超大物演歌歌手Kが率いる事務所は各方面と繋がりが強く、慰問の常連という。
「中には流し目のSさんのように、何のしがらみも無く、真面目に活動されている方もおります。けど、大物の登場には、やはり口添えが必要なんですよ」
それが証拠に、広域団体の上位幹部が入所すると、その刑務所だけ大御所の登場が飛躍的に増える。むろん、表向きはボランティア。当局も黙認するしかないようだ。

「有名所のギャラはわかりませ
んが、私の場合で、刑務所から
足代1万5千円から3万円をい
ただき、正式な出演料も事務所
から支払われます。その資金は、
たぶんペケちゃんが出している
んだと思いますよ」

刑務所の慰問は、原則として月1回、土曜日か日曜日の免業
日(労役がない日)に行なわれる。
「私の場合、地方巡業の合間に
スケジュールを入れることが多
いんですが、毎回朝の7時半〜
8時頃に、泊まってるホテルに
迎えの車が来ますね。たまに、
金網張りの護送車が来ることも
あって、ホテルの人、びっくりしてますよ」


いざ車に乗り込み会場へ。入
口で入所者名簿に本名と時間を
記入し、許可証バッジを着ける。
大きな学校のような宿舎の玄
関でスリッパに履き替え、ステ
ージのある諦堂まで歩く。その
道すがら、展覧スペースの俳句
や短歌、習字などを眺めるのが
南白川の常だが、どれも達筆で
目を奪われるそうだ。


「字が上手いだけじゃなく、お
子さんや奥さんへの想いがヒシ
ヒシ伝わってくるんです。とて
つもなく哀しいんですよね。廃
校のように物音一つしないから、
周囲の空気は地面にへばりついて重いし」


ステージでは9時までにリハ-サルを終え、他の参加者たち
と共に、鉄格子の控え室で衣装に着替える。

このとき、「女性歌手は短いスカートを穿かない」
などと注意を受けるそうだ。


9時半。受刑者たちが会場で
着席すると、行事立会(刑務所
の慰問担当官)が開会の挨拶を
行い、司会者を紹介。このとき
すでに椴帳の裏では、最初の出演者がスタんばっている。


「いよいよ開演となると、客席がザワめき、刑務官が怒鳴るん
です。と、今度は場内が静まりかえるんです。緊張感が倍増しますね」

いよいよカーテンが開く。目の前には強張った表情で座る4
〜600名の囚人たち。だが、いざ演奏が始まると全員が穏や
かな笑顔に変わっていく。100カ所以上の慰問経験を持つ南白川でさえ、これには毎回驚かされるそうだ。演奏中の受刑者は、ただただ静かに歌を聞いている。

「手拍子や声援は一切禁止なん
ですよ。ですからお笑い芸人さ
んはツライ。昔、吉本興業の売
り出し中の若手がえらいゲンナ
リしてましてね。刑務官が気を
遣って言うんです。『規則で盛
り上がれないだけですので、気
を悪くしないでください」って。
そりゃムリですよね(笑)
囚人同士で感想を言い合った
り、席を立つことも禁止。認め
られているのは終了後の拍手だ
けだ。が、そのぶん歌い終える
と、地鳴りのようなシャワーを浴びせられるらしい。
「何度味わっても、震えが止ま
りません。紅白歌合戦でもあの
感動はないでしょうね。特に私
の場合、童謡や子守唄を唄うと、
年配の方が、涙を流しながら聞
いてくれるんです。これは堪りませんよ」


法務省の調べでは、高齢の受刑者は3倍近く増加
したという。たとえムショを出た後も、今さら故郷には帰れな
い。勝手にそんな想像をしてしまうのだろう。
数名の出演者の場合、コンサートは2時間ほどで終了。控え
室で私服に着替え、門の外で解
散となるが、このとき刑務所長
や看守にCDやカセットを求め
られることも珍しくないという。
経験上、刑務官が好意的なとき
は、受刑者の反応もすこぶる好調だそうだ。

「逆に、後味の悪い気持ちにさ
せられる施設もありますね。東
北の某刑務所なんですけど、控
え室が禁煙だったので、講堂の
裏でタバコを吹かしてたんです。
そしたら、突然、刑務官の怒声が聞こえてきまして…」
慌てて火を消そうとしたところ、先の庁舎で、足の不自由な囚人が立たされて
いた。両脇には制服姿の係官が2名、警棒片手に受刑者を固めている。
『なんで、直立静止ができないんだ!」
「か、勘弁してください〜!』
「早く答えろ!」
『あ、足が悪いのであります!」
『精神がたるんどるからじゃ!片足で立ってみい!違う、左足でだ!』
不自由な足での片足立ちを強要されていた。何度、挑戦して
もバランスを崩してしまう。当たり前だろう。
にもかかわらず、追及の手を休めない刑務官は、「懲罰だ!」
と罵りながら、警棒で左足をメシダ打ち。間もなくその場にう
ずくまった被害者は、ズルズルと舎房に引きずられていったとい箔っ。
「私の演奏中に受刑者同士がケンカを始めたことがありまして
ね。すぐに追い出されると思っ
たのに、看守は眺めているだけ
なんです。で、2人が疲れ果て
て動けなくなった頃を見計らい、
安全靴で蹴りまくってました。
他にも、受刑者が突然、《泣き石》
という石を抱えながら運動場を走らされたり。いろんな場面を見ましたよ」


南白川は、自らのMCでとてつもない事態を引き起こしたこ
ともある。西日本某所の少年刑務所(少年院)へ出向いたときのことだ。
ひと通り唄い終え、軽く笑い
を取った後、南白川はMCを続けた。
『やっぱり、この中には《陰部摩擦罪》なんて罪もあるの?
そんなのがあったら、私なんか一生出られないね」
下ネタで爆笑を誘い、再び唄へ。その瞬間、突然1人の少年が立ち上がった。
「しようもないんじや、ボケ!』
『おい、座れ!」すかさず刑務官が駈け寄り、
少年を諌める。気を取り直して、次の曲を唄い始める白川。と、今度は少年の前に座っていた、別の少年が立ち上がった。
「アヂィィィィィィ!』
見れば、背中が炎でポウボウ燃えているではないか。南白川に罵声を飛ばせた少年が腹いせに着火したのは明らかだった。
「後で聞いたんですが、火を放った少年は、ハタチを過ぎてから一般の刑務所へ移されたそうです。なんか悪いことしちゃったよなぁ」