本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

ギャンブルまみれで借金し母親が自殺・親を殺したという事実はあまりにも重い

私の借金は870万を超えていた。

週末の度に、30万からの金をスッていれば、そんな額はアッという間だ。
当時の870万は、現在の価値に換算すると5千万以上。

20才の若造の分際で5千万の借金と
は、我ながら呆れて物も言えない。


ただ、不思議なことに家族には
バレなかった。確かに、主な借り
入れ先が信販会社や銀行だったの
で、督促はキッくない。返済期日
が迫れば、他から借りて何とか取
り繕ってもいた。


それにしたって、オフクロが督
促状を取ったり、女房が信販会社
からの電話を受けたりと、冷や冷
やした場は何度もある。家族も
相当ヌケていたとしか思えない。


そんなワヶで、督促にも慣れ、
少々返済が遅れても動じなくなっ
た私だが、ある日届いた1通の手
紙で、すっかりビビッてし
「入金が滞っております。一両日中に全額お支払いいただけない場
合、当社は、ただちに法的な手続
きを取らせていただきます。つきましては…」


法的な手続き?驚いて文面を
読んでみると、そこには「裁判所」
だの「さし押さえ」だのといったただならぬ文字が。
むろん、こんな督促状は単なる
オドシ。差し押さえなどそうそう
実行されるもんじゃない。が、そ
れは今だからわかること。

私に、そんな世の中の裏が見通せるはずもなかった。
入金額こそ5万円と少ないが、
支払期日は明日。とても間に合い
そうにない。このままだと家を取られる。ヤバイ…。
せっぱつまった私はとうとう最後のカードを切った。オヤジに全てを告白したのである。


「驚かないでくれよ、実はオレ、借金があるんだ」
その夜、緊急家族会議が開かれ
た。何といってもお家の一大事。
当然の成り行きである。
居間のテーブルにはオヤジ、オ
フクロ、女房、私の4人。みな無
言でうつむいている。私も神妙に
正座していた。空気が重苦しくて
耐えられなくなりそうになる。
女房がシクシクと泣き出す。つ
られてオフクロも鼻をすすりはじ
めた。うわ-、やめてくれ-。
「ともかく、どこからいくら借り
たか全部書き出してみろ」


オヤジの言うとおり書き出して
みると、あるわあるわ。銀行4行、
信販会社のクレジットカード6社、
フリーローン3社、サラ金2社。
しめて1500万。よくもまあこ
れだけ借りたものだ。


「どうしようか、オヤジ」
「どうするもクソもない。借りた
ものは返すしかないだる&
結局、この1500万は、親戚
から金をかき集めて返すというこ
とで解決。どうにかこうにか家だ
けは取られずに済んだ。

それから5年間、私は競馬には
目もくれなかった。さすがにもう
コリゴリだ。心を入れ替えてやり
直そうと思った。


親戚に借りた1500万は、
「早く返さないと悪い」というオ
ヤジの意見により、労働金庫から
借りて返済。労金には家を担保に取られた。

ま、家族そろってマジメに働けば、
返せない額でもあるまい。
借金返済のメドもたつと、しだ
いに生活が落ち着いてくる。2人
目の子供も誕生し、平穏無事な日々が続いた。
と、私の中でまたもや心の悪魔
が職きはじめた。GIくらいなら
いいんじゃないか。いやいや、そ
れがイカンのだ。でも、1千円だけなら…。


そんな発想になること自体が、
己に負けていた証拠だったのだろ
う。私がふたたび競馬にノメリ込
むまでそう時間はかからなかった。
こうして私は、消防署員のため
の〃マイローン〃に手をつける。
署員なら誰でも100万まで無利
子で借りられるという融資制度だ。
毎月の返済は給料からの天引きで
ある。
1カ月で100万の枠を使い切
った後は、後輩や先輩から金を借
りまくった(金払いがよかったせ
いか、みな二つ返事で貸してくれた)。その合計が5人で180万。
知人に借りられなくなると、今
度は銀行から金を引っ張る。ただ
し、正規のルートは閉ざされてい
た(小さな町なので面が割れてい
た)ので、変則的な手段を使った。


当時、銀行には〃マイカーローン〃という、車を購入する場合に限り、ディーラー経由で融資をしてくれる制度があった。要するに、ローンの申し込み場所は販売店な
ので、銀行の窓口まで出向かずとも済むというワケだ。


私は、知り合いのディーラーに
頼んで2台の車を架空に購入し、
計200万を借り受けた。旧知の
仲ゆえ、1台につき3万円も手数
料を払えばスンナリだ。
それ以外にも、手つかずの信販
会社やサラ金などから計500万
ほど引っ張ったが、長くなるので
割愛する。
むろん、家には督促がこないよ
う返済日がくると借金で埋めた。

中央競馬だけでなく地方競馬にも手を出し始めた。

土日開催だけでは大きく取り戻せないと考えたのだ。
まず、前半5レースは見送る。後半に入ったところで
競馬予想紙をチェック。調子の良
いトラックマンの予想に乗るのだ。
この賭け方は、予想会社よりも
はるかに勝率がよかったが、それ
でも赤字は赤字。
そして3年後、負債額は3700万にまで膨れ上がり、借りるア
テがなくなった。となれば当然、
恐れていた督促がやってきて、ついに家族にもバレてしまう。
この日を境に、家族は私に何も
言わなくなった。完全にサジを投
げてしまったのだろう。
すっかり開き直った私は、その日も地方競馬に行った。

メインレースを待たずに消滅。またダメか
と、オケラ街道をトボトボ歩く私。
家に帰り、玄関のドアを開けると、中でただならぬ雰囲気が漂っ
ている。どうしたんだろう。居間から出てきた女房が、私の
前に立って、まるで独り言のように肱いた。
「お母さん、亡くなったの」
首吊り自殺だった。遺書こそなかったが、借金を苦にして死んだのは明らか。とうとう私は親まで殺してしまったのだ。
さすがに、このときばかりは目
の前が真っ暗になった。

親を殺したという事実はあまりにも重い。重すぎる。


初七日が終わると、親戚たちも
家に顔を出さなくなった。家の中
には、私と女房と父親の3人きり。
母が死んで以来、家族とは一言も
会話をかわしていない。
仕事にでも行けば多少は気も紛
れそうなものだが、女房と父親は
休みをとっている。まさか私が真
っ先に、「仕事に行く」と言いだすワケにもいかない。

そんなある日、仏壇の中に束ね
られた封筒が私の目にとまる。香
典である。中を確認してみると、
70万近く入っていた。これを3700万に増やせば、
死んだ母も浮かばれるかもしれない。

いや、母に報いるためには、
それしか方法がないのではないか。
香典を握りしめた私が向かった
先は、競馬場ではなく競輪場だっ
た。生まれてこのかた競輪などや
ったことはない。が、だからこそ、
勝てそうな気がする。いや、今日
だけは勝たねばならんのだ。
しかし、専門紙の見方がサッパ
リわからない。なぜ選手の出身地
まで書かれているのか。S級とA
級ではどっちが格上なのか。
ただ、他人の予想に乗るのはも
うコリゴリだ。わからないならわ
からないなりに、自分の意志で車券を買おう。
この頭の切り替えが功を奏したのか、レース終了時、手持ち金は増えていた。

3700万とまではいかなかったが、まあ上出
来だろう。少しだけ厚くなった札
束を懐にしまった私は、足取りも軽く家に戻った。
「あなた、香典はどうしたの?」
玄関のドアを開けるなり、待ち
かまえていたように女房が言う。
よかった。金をスッたのならば何
の申し開きもできないところだっ
たが、今日は違う。私は堂々と香典を取り出した。
「ホラ見てごらん、増やしてきたよ」
そう口にした瞬間、女房が背後に後ずさった。まるで化け物でも見たかのような怯えた表情だ。何だよ、増やしてきたのにどこがいけないっていうんだよ。
そんな風にしか考えられなかった私は、常軌を逸していたのだろう。女房の反応こそ正常だった。
この日以来、私には常に監視が
つくようになった。こんなヤバイ
男を野放しにしておくのはあまり
にも危険すぎるというワケだろう。


「絶対に目を離したらいけないよ。
気が狂ってるんだから」


私のいないところで、女房と親
戚連中は、始終そんなヒソヒソ話
をしていた。軟禁状態にあると聴
覚が敏感になるらしく、聞きたく
もない話まで聞こえてくるのだ。
いたたまれなくなった私は、気
がつくと、着の身着のまま家を飛
び出していた。ヘソクリの2万円
と集めていた記念硬貨5千円分を
ポケットに突っ込んで。

最後に、私がたどった末路についても記しておこう。
家を飛び出した私は、まずある
国道でトラックをヒッチハイク。
出れば何とかなる気がしたのだ。
トラックに乗せてくれたのは、気の良いアンチャンだった。
荷を手伝ってやると、バイト料として1万円をくれた。よほど金に困っていると思われたのだろう。
何はともあれ山谷へ。借金取りから逃れて生活するには、山谷しかあるまい。
しかし、一泊500円のホテルの女将になぜか追いだしをくらってしまう。
「ココはアンタがくるところじゃないよ。出ていきな」
気取ってネクタイなんか閉めていたせいかもしれない。
仕方なく上野公園で野宿していると、手配師に声をかけられた。
そのまま流れるようにタコ部屋送り。仕事は橋の蔭で、日給は7千円と悪くはなかった。
そんな私も、やはり家族のことは心配で、女房の店(喫茶店を経営していた)には毎日電話をかけていた。といっても、ワンコールでガチャ切り。家族の無事さえ確認できればそれでいい。
ところが、ある日、受話器からこんなアナウンスが流れてきた。
「この番号は使われておりません」
家族の身に何かあったと悟り、慌てて家のダイヤルを回した。と、
こちらも同じアナウンスだ。そこで、息子の学校に連絡を入れてみると、四国に夜逃げしたとのこと。女房には口止めされていたらしいが、「やはり家族は一緒の方がいいから」と連絡先まで教えてくれた。
一度は蒸発の決心をした私だっ
たが、根っから人に頼る性格、電話をかけないはずがない。必死に謝ると、どうにかこうにか女房の許しも得ることができた。
そんなワケで現在、私は、四国で家族とともに暮らしている。ちなみに、四国に逃げて一度も借金の督促はきていない。