本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

殺人事件の容疑者だった夫もまた殺害されたミステリー

1969年3月18日、米テキサスの石油王アッシュ・ロビンソンの養女ジョアン・ロビンソン・ヒル(当時38歳)が自宅で倒れ、翌19日に搬送先の病院で亡くなった。

司法解剖の結果、死因は肝臓障害と推定されたが、父親アッシュは頑として納得しなかった。娘の死はジョアンの夫である整形外科医のジョン・ヒル(同38歳)によってもたされたものだと主張したのである。
 

ジョアンとジョンは1957年9月に結婚。テキサス州リバーオークスの高級住宅街に新居を構えた。当初から周囲では、ジョンはいずれジョアンが相続するアッシュの財産目当てで結婚したのだろうと噂が立っていた。実際、夫婦の仲はしだいに冷めていき、ジョンは外に愛人を作り、ジョアンは趣味の乗馬に熱中し憂さを晴らしていた。
 

そして起きたジョアンの突然死。父アッシュはジョンが妻が倒れても慌てる様子がなく、自宅からかなり離れたヒューストンの病院に送り込んだこと、検死を急がせたことに疑いを持っていた。

さらに、妻の死の3ヶ月後にジョンが愛人と再婚したことで怒りは増幅。ジンが娘に毒物などを飲ませ死に至らしめたに違いないと、公然と彼を非難する。対し、ジョンは著しく名誉を毀損されたとして、石油王アッシュに対して500万ドルにも及ぶ損害賠償を求める訴訟を起こした。
 

1969年11月、アッシュの主張が通り、改めて司法解剖が行われた。が、故意に殺害された証拠は出てこない。それでもアッシュはあきらめず起訴陪審に持ち込み、翌1970年4月、
ジョンを「不作為による謀殺」のかどで起訴した。つまり、意図的に治療を怠ることにより、
ジョアンを死に追いやったと認定したのだ。
 裁判は1971年2月に始まった。しかし、ジョンの謀殺を立証するのは極めて困難だった。
裁判当時、すでに別居していたジョンの再婚相手も検察側証人として出頭し「私も夫に殺されるところでした」などと証言したものの、陪審員の評決は割れ、結局審理無効となってしまう。

原告側は即日控訴し、1972年11月から再審が始まることが決まる。
が、2回目の審理が開かれることはなかった。その2ヶ月前の9月24日、被告であるジョンが自宅で射殺されたからだ。手を下したのはプロの殺し屋で、その男もまた保釈中に逃走し警官によって射殺。
殺し屋を雇ったのはアッシュの可能性が高いが、いずれにしろ事件の真相は闇に葬られることになる。