本当にあったリアルな怖い話・恐怖の事件 ~現代の怪談~

なんだかんだで生きている人間が一番怖い・現代の怪談ともいえる本当にあった怖い話や恐怖の未解決事件です。

奈良小1女児殺害事件の犯人小林薫の生い立ち

「忘れ物をしたから、ちよつとおっちゃんの家に寄ってこか」
昼下がりの奈良県三郷町。周囲が静まりかえる中、緑色のカロ—ラに乗った男は、助手席の少女にそう声をかけた。
「ここがおっちゃんの家やから」
車から降りると、男は3 階建てのマンションの2 階の室に少女を連れ込んだ。初めて見るその場所に、少女は俯いたままランドセルを抱きカカえた

男の«城» は、約6 畳のワンル—厶。玄関左には収納棚、右には下駄箱。リビングに向か
って右側に流し台、クロ—ゼット、奥にはベッド。部屋の左側には浴室、トィレ、冷蔵庫、ビデオラック、テレビが並び、中央には3 畳ほどの空間があった。

部屋に入ると男は極度の興奮状態に陥り、さらに女児の恥部を切り裂き、おそらくは死姦したのだ。
これは、女児の身体の一部、また性器部分に小林の陰毛が付着していたことから、ほぼ
間違いないと見られている。新聞、テレビではさかんに「女児の身体に被害者のものとは別の毛が付着していた」と報じていたが、«毛»とは陰毛を意味していた。
この鬼畜の性的サディズムは止まることを知らない。一部搜査関係者の証言にょると、片方の目もくり抜かれ、身体には故意と見られる無数の傷がついていたといぅ。何が目的だったのかは、いまだに明らかにされていない。
その後、アリバイを作ろうと考えた小林は、午後3 時40分頃、販売所に立ち寄り、同僚と雑談を交わす。

午後5 時半頃、販売所を出て、行きつけの料理屋で食事。何の罪もない少女を誘拐し無
惨にも殺害、その遺体を自宅に放置したまま、何食わぬ顔で大好物の鶏料理を口にしていたのだ。午後7時55分頃、自宅に戻った小林は、またも奇怪な行動に出る。女児の遺体を座椅子からベッドに移動させ、横たわる女児の姿を携帯電話で撮影、母親にメール送信したのだ。
«娘はもらった»
自己顕示欲を満たすため、同じく女児の携帯電話から母親に向けて何度も『ワン切り』を繰り返す。この間、小林は心の中で何度も雄叫びを上げたといぅ。
(オマエの娘は生きてはおらんぞ。オレがもらったぞ)
午後9 時40分頃、遺体をシーツで包んで車の助手席に乗せた小林は、午後10時頃、土地
勘のある平群町菊美台の農道脇に少女の遺体を投げ捨てた。犯行後にもしばしば訪れていたという新聞販売所近くのスナックホステスが語る。
「小林さんが来はったのは12月16日から。いつもひとりでカウンターに座って、携帯を
イジってました。たぶん逮捕されるまでほぼ毎日通ってたんやないかな。何回目かのとき、常連客と楓ちゃんの事件について話していたら、『楓ちゃんの画像、持ってるで』と言って珍しく割って入ってきた。私も見たんやけど、あんなおぞましいもん、思い出したくもないわ。他のホステスが『なんで持ってるん?』と聞いたら、『ネットでダウンロードしたんや』と自慢げに言ってはった」
12月30日早朝「重大局面不審人物浮かぶ」と事件を報じた毎日新聞朝刊を見て「これでオレの疑いも晴れる」と仲間たちに語った小林は、配達後、販売所に戻ったところを待ち構えていた捜査員に取り押さえられた。
殺人鬼の«城» の様子を、当時の捜査関係者はこう証言している。
「立ち籠める異臭に思わず後ずさりしましたよ。私どもはまず、収納棚からまだ見つかっていない楓ちゃんのランドセルやジャンパー、靴、給食袋を発見しました。クローゼットを開けると、何かがパンパンに詰め込まれて、ちょうど少女の樣のような形に膨らんでいる紺色のスクール水着があった。しかも、詰め物は盗んだと思われる少女のパンツ。ヨダレのようなシミも付いていましたよ。さらに、部屋内には1 OO枚ほどの盗難パンツ、ビデオラックにはロリコンものを含む約1OO本のアダルトビデオとロリコン雑誌がありました。ラックの上には携帯電話が4つ並べられ、そのうちのひとつが当時、楓ちゃんが使用していたものだったことが確認されたため、逮捕に踏み切りました」
供述によれば、小林はこれらを「記念にときどき眺めては喜んでいた」らしい。さらに部屋からは、流し台の前、部屋の奥に置いてあった座椅子の2 箇所で血痕が発見。フローリングにベージュのカーペットが敷かれた床の中央部分からは、多量の尿が検出されたという。
搜査員もたじろぐほど異臭の立ち込める部屋内で、この鬼畜は逮捕までの1力月あまりをどう過ごしていたのだろう。
この希代の犯罪者の人格は、どのように形成されたのか。生い立ちを辿ってみよう。
1968年、小林は大阪市住吉区で、燃料販売店「小林商店」の長男として生まれた。酒好きで暴力的な父親に嫌悪感を抱く 一方、小林は母親を慕っていたという。
ところが、小林が10才のとき、弟の出産にともない母親が死亡。
それが引き金となったのか、内向的な性格を見せ始めた小林は、中学校に入学した当初から、地元の使いっ走りをするようになる。中学時代の教師が語る。
「当時は学校が荒れていたものですからね。悪い子が多かったんです。小林君の印象としては、『トロい』という感じでした。」
最初からツケで飲ませてしまったのが間違いでした。1 力月で合計14万円になっていた。販売所に取り立てに行っても、結局は無駄でしたね。『俺は昔、子供を2 人殺したことがあんねや。もちろん、刑務所にも入つたことがある。人を殺すのなんて簡単や。俺は普通の人間やないんや!』と凄んだりもしていました。両親の愛情を受けたことがないと嘆いていて仲良さそうにしている親子がむかつくんやと何度も言っていました」
当時、小林はとあるフィリピン人のバツイチ女性と同棲をしていたという。
「5才くらいの子供が2人いて、よく見てくれました。本人は未婚で子供もいないと言っていました。たしか……すぐに別れてしまったと思います」
彼女は、その理由についてこう語っている。
「薰が子供に手を出してしまったからだと聞いています」
ロリコン癖は、まさに当時からのものだったのだ

前出の全国紙社会部記者は言う
「子持ちのバツイチを狙うのは小林の常套手段です。まずその母親を口説いて同棲する。その後、徐々に子供を懐かせて食い物にしてしまう。初めからそのつもりで成人女性に迫っていたのだとすると、尋常ではない計画性が窺えますよ」
まさに鬼畜の仕業というより他はない。最後前出.スナックママは涙ながら重いロを開いた。
「いま考えると、薰はやっぱり人を容易く殺せるような男だったんです。一度、長袖の裾に新聞紙に包めた刃渡り30センチの刺身包丁を隠し持っていたときがあった。常連さんと私がそれを奪って必死に店の奥にそれを隠した。返してや。寿し のバィトをしていて、包丁を持って帰らんとあかんと言っていました」
小林の父親65才) が入院先の大阪市内の病院で死亡した。死因は多臓器不全だったという。父親は小林容疑者の逮捕直後からマスコミの取材申し込みが相次いだが「勘当した息子のことや。関係ない」
と、かたくロを閉ざしていた。
関係者らの話では、もともと内臓に疾患があり、通院していたが、体調が悪化、1 月になって自宅近くの病院に入院していたらしい。告別式は営まれなかったという。
それが影響したのか、第5 回公判で小林は、
「約1 力月前から毎日、就寝前の少しの時間に手を合わせて拝んでいる。おわびの言葉しかない」と、初めて被害女児への謝罪の気持ちを明らかにしたが一方で、こうも口にしている。
「どんな形であれ、償いはできないと思うので、言葉では言えない」
友人もなく親からも見捨てられ、ひたすら己の異常性欲を育てた小林被告。